小川の記憶

小川を飛んだ記憶
先日休みの日にブックオフに本を売りに行った。家から歩いて10分ほどの距離なので、少しでも運動不足を解消しようと思い歩いていく。平日なので人影は少ない。近道として見知らぬ空地を素通りさせていただく。ブックオフにも多くの客はおらず2-3人の若い人が漫画を立ち読みしていた。

近頃は立ち読みをする機会も無くなったし、立ち読みの場面を見ることも無くなった。コンビニでは、雑誌は紐で括られ、立ち読みお断りの札が貼ってある。もう大分経つ、1年にもなるかもしれないがコンビニで雑誌を見ていたら見始めてて何分にもならないのに店員さんに咎められてしまった。それ以来立ち読みの習慣が無くなった。

ブックオフでさへ漫画を見て買うかどうか考えていると店員さんが寄って来て近くの本の整理を始める。他意は無いのだろうか?どうも立ち読みは困るようである。尤も本が傷むだろうしお店の人は買うならさっさと買って欲しいと思うのは普通の感覚だろう。

本を売って、漫画を三冊ほど買って、帰り道。春になって、日差しは和らぎ、景色が明るくなった。慣れた道を歩いていると小学校の頃、この道を通学していたのだと思い出す。この場所は家から5-6分、左手は畑、右手には小川が流れている。小川の先は田んぼだ。

小川の辺に窪みがって人が二三人、立てるぐらいの広さ。そこに立って水ぬるむ小川を眺める。昔は魚も泳いでいたが今日は見当たらない。記憶がよみがえった。この窪地、この窪地に向かって小川の対面から飛んだことがあった。小学校の帰り道田んぼの方から歩いて小川に出て、道路に出るために窪地めがけて飛んだ。目測では簡単に窪地に着地するはずであった。ところが全く足は窪地に届かず、小川にどぼんと落ちてしまった。小川は浅いのになぜか腰まで濡れて、足は泥まみれで帰った。

今ここに立って向こうからこっちへ飛んで落っこちた記憶がまざまざと蘇ってきた。飛ぶか、30年の歳月を経て復讐の意味を込めて逆側から・・・。小川を見ると幅は狭く間違いなく飛べると思うとともに、何故あの時落ちたのかこんな距離が飛べなかったのか不思議である。よしと思ったら緊張してきた。こんな小川を見て、これだけの緊張をする人間は史上初めてに違いない。深呼吸をする。

でも飛ぶのはやめた。もし誰かが見ており、あのおやじ何しているのか?挙句どぼんでは二度と立ち直れない。

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